今ここ

山登りをやっていて、気がついたことがあります。

それは、山登りをしている時は、気持ちが「今ここ」に集中すること。

山頂に至るまでの時間は、特に登りは苦しいことが多いです。いつ山頂に着くのかな…と先のことばかり考えていると、余計に辛くなるので、一歩一歩と確実に歩みを進めることを考えます。岩場だったり、細い道だったり、不規則な階段だったり、何気ない石ころだったり、足元をすくわれる危険は常にあるので、注意は怠れません。
更に、天候の変化を常に観察し、後ろから迫ってくる速い人達に気が付き道を譲り、景色を楽しんだり、鳥の声に癒されたり、気持ちの良い風に体を預けたり、五感をフル稼働して「今ここ」を感じているので、未来や過去を気にする暇がありません。

もちろん、山頂への到達時間は計画と実際の時間を比較して常に修正したり、過去に登った山と比べたりはしますが、気にすると言うよりも、今登っている山をより理解するためのデータです。

瓶ヶ森から眺める石鎚山

瓶ヶ森から眺める石鎚山(一番高い山)

かなり昔になりますが、悩み事が多かった頃、「一夜賢者の偈」という言葉に出会ったのを思い出しました。悩み事が多いのは、過去や未来を思い悩むからだと気が付き、救われた言葉です。山登りは、今ここの観察・見極め・実践が、自然と行われているように感じました。

一夜賢者の偈(中部経典 増谷文雄訳)
過ぎ去れるを追うことなかれ。
いまだ来たらざるを念(おも)うことなかれ。
過去、そはすでに捨てられたり。
未来、そはいまだ到らざるなり。
されば、ただ現在するところのものを、
そのそのところにおいてよく観察すべし。
揺らぐことなく、動ずることなく、そを見きわめ、そを実践すべし。
ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。
たれか明日死のあることを知らんや。
まことに、かの死の大軍と、遭わずというは、あることなし。
よくかくのごとく見きわめたるものは、
心をこめ、昼夜おこたることなく実践せよ。
かくのごときを、一夜賢者といい、また、心しずまれる者とはいうなり。